小学校や中学校でも取り入れられている探求学習。「答えがない」問いを出発点に子どもたちが調べたり話し合ったりして、最後に発表する。
その探求学習が少しずつ形骸化しているように感じます。
その理由は、まず、始める前から「問い」と「期待されるゴール」が大体分かっていること。
探求=調べ学習となり、探求方法がインターネット検索か学校図書館の図鑑などと限られていること。
探求する時間があまりに短いこと。
国語・算数・理科などの教科学習と比べて自由度があり、子どもたちの関心も高い授業ではありますが、子どもたちが本当に「知りたい」「考えたい」と思って取り組むとさらに深い学びになるのではと思います。
また、大人がお膳立てをしすぎずに、時間がかかっても、挫折しても失敗しても良しとする。「探求のプロセス自体が価値のあるもの」だと大人も子どもも認識していれば、探求したいという気持ちもより育まれるのではないでしょうか。
感想の発表。
意見文。
夏休みの自由研究。
子どもが大人に忖度する。
そんな状況は割とたくさんあるような気がします。
北海道の高校では、大人への忖度なしに、自分たちにとって本当に価値あるものは何なのかを話し合い、生徒たちによる生徒たちのためのイベント「Rising Teenager Award 2026」を実施しています。
「自分たちの世代を牽引する若者」を選ぶこのイベントでは、高校生が審査員となり自分たちで審査基準を決めたそう。
その議論の中で学生審査員の1人はこのように語っています。
『なぜこの候補者がすごいのか』を言語化し、メンバーと意見をぶつけ合うプロセスは、大人の顔色をうかがうのをやめ、自分自身の生き方を問い直す作業でもありました
大人が決めた正しさや、社会的に価値がありそうなものにとらわれず、自分たちがどうありたいかを考え抜く体験はまさに子どもが主語の学びです。
「いい感じ」の文章も「正しい」判断も、AIに頼るようになった私たち大人も、自分たちがリスクをとってチャレンジしたり、正解を気にせずワクワクする方へ進んだりして人生を楽しみたい。高校生たちのこの探求活動を見てそう感じました。
↓参照:東洋経済オンライン

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