おはようございます。「人間はみんな同じ」「みんなそれぞれ違う」のハザマで、システムに信頼しながら生きています。日本はその信頼が高いレベルで維持されています。
「ここでは我々はこうする」というのが文化です。日本では互いのシステムへの信頼に基づいて、言葉にせず気遣いだけで成り立って来ました。言葉で注意するというのは、よっぽどの事がある時です。
この高度な文化が機能するのは、単一民族だからです。外国人は日本語が流暢なだけではダメです。文化に対する敬意と理解が不可欠です。理解には不断の努力が必要です。
ほとんど無理に等しいです。奇跡に近いこの文化を維持するには、多文化共生などという絵に描いた餅を取り下げる事です。それぞれの国の文化をそれとして尊重するのが多様性の維持としてベストな方法です。
イスラムと共産主義が侵入する国は全て荒廃します。イスラムは我々を「豚、犬」と呼びます。助けてもらっておきながら。でも豚や犬は役に立つ動物です。愛らしくて利口です。
じゃあ逆にイスラム自身は何かといえば「ゴキブリ、ネズミ」でしょう。害虫、害獣です。臭い、汚い。駆除しなければ増え続け、住めなくなってしまいます。
彼らは言葉で注意しても意味がありません。駆除しなくては、彼らは増え続けて手に負えなくなります。駆除だけが唯一の解決策です。政府に訴えましょう。
それにはまず自民党を駆除する事が、イスラム駆除に一番有効だと思います。
奇跡のような文化を保存するために、戦わなくてはなりません。みなさん、売国帰化人自民党駆除のために声を上げましょう。
逆らう性を知りながら、神様はメシアを備え続けました
旧約聖書を読んでいくと、一つのことがはっきり浮かび上がってきます。人間には、神に逆らおうとする性があるということです。これを罪と呼べばいいと思います。
歴史を通じて、メシア待望は高まっていきました。しかし、神様はアダムの叛逆の瞬間から、すでにメシアを遣わすことを聖書全体を通して示し続けていました。
ここに、僕は聖書の一貫性を感じます。人間の側は、自分の弱さに気づき、同時に神の救済の預言にも気づき、メシアを待ち望むようになりました。そしてイエス様が来られ、全人類の救いとなられました。
罪への気づきと、救済への待望は、セットで進んできたのです。人間が弱さを認めなければ、救い主を求める心も生まれなかったはずです。旧約聖書は、その両方を同時に描いた記録だと、僕は考えています。
いつもブログとメルマガを読んで下さり、ありがとうございます。今日も素敵な一日でありますように、イエス様の御名によって祈ります。アーメン

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