原田:設計事務所・DAIKEI MILLS代表の中村圭佑さんと、プロダクト・空間のデザインを中心に活動されている柳原照弘さんによるシリーズ、今日が3回目となります。2回目は柳原さんの活動にフォーカスして、柳原さんのデザインの活動や、アルルと神戸で運営されているVAGUEというスペースの話を主に伺ってきました。今日はまた中村さんに戻ってきていただき、対談形式でお届けしていきたいと思っています。
1、2回目でそれぞれの活動と場のお話をしていただいたので、その話を受けて、デザイナーが自分たちで場を持つことで、そこにどんな価値が生まれていくのかというところを深掘りしていきたいと思っています。1、2回目でお相手の話も聞いていただいたと思いますが、まずはそれぞれの活動や場に対する考え方について、ご自身との共通点や、逆に全然違うと感じた点などを伺ってもいいですか?
中村:そうですね。2人とも人と同じことはやりたくないというパンク精神みたいなものが多分にあるのだと思います。バックグラウンドとしても、いわゆる通常とは違うレールでいまの立ち位置にいるところがあって、それがイレギュラーな動きにつながっているのだと思います。そこは共通しているし、そういう状態が居心地良いということでもあるし、自分たちの特異性でもあるという認識していて、そのアプローチは近いと思います。
柳原さんから山奥でという話がありましたし、神戸というのもそうですし、僕らも亀有でというところがもちろんある。ただ、明快な違いがあるとすると、柳原さんは建物や、その場がもともと持っていた空気感、美しさに可能性を見て、自分のイメージと重ね合わせながら理想郷的な空間をつくろうとしている。僕はそこが真逆で、誰もやりたくない、みんなから一番汚いと思われていたり、何にもならないだろうと思うような場所でやってみたいと思っていて、そこが真逆なポイントかなと。
柳原:建築事務所ではありますが、やっぱり中村さんはベースに若い時にロンドンやイギリスで体験したアートがあるというところが、アウトプットの違いになっているのかなと感じましたね。中村さんが行っていた頃のロンドンは、まさにダミアン・ハースト以降のアートシーンのど真ん中だったじゃないですか。僕らからすると、アートシーンの中でも凄く刺激的だった。そこから派生して、いろんなクリエーションがアートの文脈の中で生まれていった。たとえばアセンブルのような建築家がターナー賞を受賞したりとか。
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中村:センセーショナルでしたよね。
柳原:凄くセンセーショナルですよね。しかも、アウトプットしたものの美しさではなく、都市を市民とつくるという行為が評価されたり、リチャード・レイノルズのゲリラガーデニングのように、公共の汚くて何もない場所に花を植えていくようなゲリラ的なインスタレーションもある。そういうベースが中村さんのクリエーションの軸にあるんじゃないかなということを凄く感じましたね。
僕はそれらをアートとして憧れつつ、自分はやっぱりデザイナーとして、クリエーションがもっと自分の内側にあることを実感していたので、アーティストにはならずに、デザイナーとして自分が考えていることを形にしていくことにこだわろうと思った。そこが凄く良い違いになっているなと感じました。
中村:柳原さんは、自分のことを「デザイナーです」と明快に言えますか?
柳原:何者かわからないものをとりあえず「デザイナー」と言っている感じですね。だから、みんなが言っているデザイナーとはちょっと違う意識かもしれないです。
中村:たとえば、「デザイナーの柳原」と言われた時にすんなり入ってきます?
柳原:それ以外の言葉がやっぱり当てはまらないんです。
中村:取捨選択した上でのデザイナー。
柳原:そういう意味でのデザイナーですね。いわゆるインテリアデザイナーとか、そういうことではなくて。でも思想家でもないし、アーティストでもない。どれにもはまらない中で、最終的にデザイナーが曖昧だから、それでいいかというくらいの感じです。
山田:本当はクリエイティブディレクターやアートディレクターという言い方もありそうなんだけど、違うんですよね。
柳原:自分の中ではクリエイティブディレクターじゃないんです。カリモクニュースタンダードや1616 / arita japanなど、日本のプロジェクトではだいたいクリエイティブディレクターと言われるのですが、自分自身では全然そう思っていない。やらないとそこに理想的な状況が生まれないから、いろんなことをクリエーションしているだけなんです。人を巻き込んだり、空間をつくったり、ビジュアルをつくったりしているだけで、自分自身はクリエイティブディレクターではないんです。
原田:おふたりともアプローチは全然違いますが、それぞれに原体験があって、しかも場に関しても明確に「はじまりの場」があるというのが面白いなと。中村さんであれば、イギリスでアートに触れた経験、柳原さんであれば、北欧で暮らしの延長にあるデザインに触れた経験というものがあり、デザイナーという言葉が腑に落ちるかどうかは別として、それがものづくりをする上でのベースになっていて、そこからぶれていない。
場に対しても、中村さんにはVACANTという場があり、柳原さんにはDESIGNEASTのような場の力を感じる体験があった。その延長で場の運営をされているのだと感じます。アプローチは全然違うけれど、本当にぶれずにやられているという印象をおふたりの話を聞いていて強く持ちました。
中村:さっきの「デザイナーがしっくりこない」という話は、別に悪い意味ではないんです。1つに括れないから、周りからデザイナーと言われたらデザイナーにもなれるというだけのことなんです。あまりネガティブな意味ではなくて、逆に言うと、やっていることでそう評価してくれるなら何でもいいよと思っています。
柳原:おそらく中村さんの場合は、思想の原点はやっぱりアートですが、それを彫刻というメディアではなく、社会というメディアを選んでいる。だから、建築家という肩書きを使うことでアート性を獲得しているんだと思うんです。僕の場合はその逆だと思っていて、デザインを徹底的にクリエーションすることでアート性を獲得する。だから自分はアーティストではないと思っているんです。
中村:僕はそれは違うと思いますね。柳原さんもアーティストだと思います。たぶんその概念が違うだけで。
柳原:デザインを追求することで生まれるアート性というところなので、自分はアーティストと名乗ってはいない。ただ、自分の中では肩書きというのはあまり重要じゃないですね。
中村:そうですよね。いまの社会や世の中に対して、ポリティカルな部分やヒストリカルな部分をちゃんと見た上で何かを表現しているということが、僕の中でのアーティストという括りなんです。そういう意味では、まさに僕の中で柳原さんはデザイナーの方がしっくりこない感じですね。
最近、いろんな国で職業の境界の話をよく振るんですよ。それを聞くのが面白いのですが、みんなやっぱり結構近い感覚があるんです。ひとつに固執したくないとか、「これが自分の職業です」と言ってしまうとその仕事しか来なくなるけど、本当はもっと色んなことに興味があるよねという話をよくしています。
原田:2回目で柳原さんが、VAGUEという場所があることで活動が伝わるという話をされていましたよね。いわゆるカテゴライズされた職業ではないものが、その場に来てもらうことで伝えられるということはありますよね。
中村:絶対そうですよね。
柳原:あと、自分の思想を空間という体験で伝えられるということも凄く大きいです。もちろんスタッフがそこで働いて、みんなで空間をつくっていますが、自分の中ではこういう空間にしたいという思いが凄く強い。朝みんなより早く来たら、誰もいない空間の中で、その日の空気感を自分で感じて、置いてあるものの位置を変えたりということをするんです。それはもう仕事でもなくて、自分の中では日常になっているんですね。自分の空間を整えていくということをみんなで共有する。そのことで、一緒に仕事をしている人たちにも、言葉や経験だけではなくて空間を通して共有していくということを強く意識しています。
山田:おふたりの事務所の面白さはそこにもありますよね。たとえば、VAGUEに行くと、窓辺に置いてある古いフランスの器やガラス作家の作品などが、凄く良い佇まいで配置されている。行くたびに風景が変わっていて、置いてあるものも変わるから、埃をかぶることもない。それはたぶんスタッフみんなに行き届いていて、みんながその場を大事に思っている。
SKWATも同じで、多種多様なイベントをやっていて、この前僕はイソップのイベントでご一緒したのですが、その時も施工のちょっとした収まりについて、「ここはどうしたらいいか」という場面ですぐにアイデアが出てきて、「これだったらこっちを使った方が綺麗に収まるし、この空間に合う」といったアドバイスが出てくる。かと思えば、トークの時にマイクの音量が思ったより届かないとなれば、スタッフがばっと来て新しいスピーカーを持ってくる。その場をより良くするために、両方のスタッフがみんな頭を使っていて、教えられたことをなぞるというより、その場で起こったことに対してどう対応するかをちゃんと訓練されているんですよね。
中村:そうですね。
山田:それは一般的なデザイン事務所で培われることではないし、普通はそこまでを事務所側も求めない。でも、おふたりがやっていることは、状況をつくっていくことや体験をつくっていくことが軸にあるから、必然的にスタッフもそうなっていくところがある。そこが良さだし、実は場をつくっていくことの大きな意味でもあると思うんです。つまり、人的な財産をつくっていくことでもある。VAGUEもSKWATも、まだ年数としてはそれほど長くないですが、10年、15年経ってここを卒業していった人たちが次にどんな場所をつくっていくのかが楽しみですよね。良いギャラリーから出た次の世代のギャラリストが、やはり良いギャラリーをつくることが多いように。
場をつくるというのは、実は同時に人をつくることでもある。それは来場するお客さんも含めて、場が人をつくっていくんじゃないのかなと強く思いますね。
原田:デザイン事務所がスペースをつくる時、スタッフ全員が自分事としてそのスペースに関われないことの方が多い気がするんです。基本的に場の運営というのは、デザイン業務とは違う活動になるわけじゃないですか。そうなった時に、スタジオの活動と境界なく関わるのは難しい。通常のデザイン業務があるので、もしかすると場の運営がノイズになることもある。内部の人が自分の場として能動的に場に関われることは凄く大事だと思うのですが、それは何によって実現できるんでしょうか。
中村:この流れからして、「それが凄く良くできていて、理由はこうです」と言いたいところですが、実際はやっぱりできていないです(笑)。全員が自分事のように関われるように、日々試行錯誤しながら促していますが、まだまだ足りない。当初よりは多少良くなりましたが、それでもまだ足りていないので、それを自分たちの中から生み出していかないといけないと日々感じています。
柳原:全く同じです(笑)。
中村:そうですよね。ここで「上手くいっています」というのは嘘ですよね(笑)。
柳原:たぶん、できているようには見えると思うんです。SKWATに入りたい、DAIKEI MILLSに入りたい、うちに入りたいという理想を持って来てくれる人がいても、その人が関われる時間や物理的な条件には限界がもちろんあります。僕らは想像としては広げていますが、1人に対して広げられることには限界があるので、どうしても「やりたくてもここは関われない」ということが生まれてくる。そこは本当に、理想に近づくためにどうしようかと日々精進しています。
中村:本当にそうですよね。僕はデザインのことではスタッフにあまり口出ししないんですよ。ここも柳原さんと違うかもしれないですが、クオリティコントロールの部分だけはしますが、デザインのテイストみたいなところは、できるだけチームから新しいアイデアを引っ張りたいタイプなんです。でも、さっき山田さんが言ってくださったような、スピーカーのハプニングが起きた時に自分事のようにちゃんと対応できるかというところの教育に関しては、凄く口酸っぱく言っています。
柳原:僕も一緒ですね。お客さんが来た時に、「この空間に良かったな」と思うのは、見た目だけじゃないですよね。設計しているスタッフも、設計だけできればいいわけではなくて、自分たちの思想を共有していけるのが理想です。他の事務所よりも、そこは広がりを持ってできるし、みんな意識も持っているし、かなりできるようになってきている。でも、完全な理想ではないですよね。
中村:もちろんです。凄くわかりやすい話をすると、SKWATを始める前と後で、スタッフに関しては大きな隔たりがあるんです。SKWATをやる前からずっと一緒にやってきてくれているスタッフに関しては僕も安心感があって、いろんなことを託せる。ただ、SKWATというものがどれだけ彼らに共有できているかというと、そこは少しクエスチョンがある。
逆に、SKWATの後に入ってきてくれたメンバーは、それまでのDAIKEI MILLSの7、8年のことを知らずに、SKWATを見て入ってきているからまた違うんです。その両方をどう融合させるかが僕の凄く大きな課題ですね。どっちも大事なんです。
原田:2回目で柳原さんが、自分が良いものづくりをする環境としてまず場を考えるという話をされていましたよね。そういう意味では、場を運営していることが、スタジオの活動や、ご自身以外のスタッフの方にとっての良いものづくりをする環境としてどう作用するのか。理想と現実のギャップはあるにしても、場を運営していることが良いものづくりにつながるというところは、どういう相互関係が理想としてはあるのでしょうか?
中村:僕はそこは明確にあって、人との出会いとハプニングです。いろんなゲストが来たり、見られていたり、そういう状況に身を置くのか、それとも閉鎖的に静かなところで誰にも見られずに集中してやるのか。いまの時代を考えると、僕はやっぱり前者なんです。
最近、うちの若いスタッフたちもそうなのですが、外に出ていろんな経験をするということをあまりしないんですよね。デジタル上で情報が得られるから、そこで満足してしまうというのは時代的にはあると思います。でも、無理やりにでも人に会わせたり、ハプニングが起きるような状況に置いたりすると、そこに対応せざるを得なくなる。そういう刺激をできるだけ与えたいということもあるし、僕はVACANTで感じていた、「こんな人ともすぐ出会えるんだ」とか、「インターネットを通して見ていたアーティストやデザイナーが突然来る」とか、「一緒にやろうという依頼が日常的に起きる」とか、そういうことをみんなにも感じてほしい。
当たり前のレベルを引き上げたいというのがあったんですね。いまそれが本当に想像通りに働いていて、みんなが驚いている。「あ、圭さんはこういうことをやりたかったんだ」ということを、ようやくみんなが少しずつ感じ始めているという状況ですね。
柳原:それも全く一緒ですね。閉じていると、設計事務所が求めるデザインアシスタントは、やっぱり仕事をこなすことに寄ってしまう。でも、自分たちはそうじゃなくて、クリエイションを一緒にやるわけですよね。そうすると、思想的なものも共有しないといけないのですが、それは教えるというより、当たり前のレベルが一緒になっていくことが凄く大事なんです。
これまでにVAGUEがなかったら会えないような人たちが来てくれているのですが、そういう人たちが来た時にショールームに案内するだけではなく、スタジオにもちゃんと案内するんですね。自分たちはこういうふうにやっていて、いまここではこういう設計やプロダクトをしていると紹介する。そうすることで、「自分たちはこういう人たちと仕事しているんだ」ということが、無意識でも日常のレベルで共有されていく。そうすると、みんなの考える基準が揃って上がってくる。そこは、場があることで凄く良くなっているし、意識している部分でもあります。神戸もそうですが、フランスは本当にいろんな人たちが来てくれる。僕ら、夏の間はジェラートもつくっているのですが、ソフィ・カルとか、ヴィム・ヴェンダースとかも普通に来てくれて。
中村:ありえないですよね。
柳原:どちらかというとジェラートの場所だと思っていて、デザイン事務所だと思っていないと思いますが(笑)、ふらっと来てくれるんです。そういう人たちの仕事やクリエイションを僕自身は知っているけれど、一緒にいるメンバーがそこに興味を持ってくれて、理解しようとすることができるというのは凄く重要かなと思います。
原田:また少し観点を変えますが、場を運営することでいろんな人が集まってきますよね。そこにコミュニティができたり、ネットワークがつくられたりもする。考え方によっては、そういうコミュニティやネットワークをつくることが、自分たちがものづくりをする時にもプラスになるという見方もあると思いますが、場を運営するモチベーションの中に、コミュニティやネットワークができることというのはどれくらい含まれているのでしょうか?
山田:ふたりともそれを目的化してないし、それを手段にもしていないけれど、結果としてコミュニティがつくられているところはあるのかなと。
中村:もしかすると、僕の方はどちらかというと、コミュニティをつくることを優先しているかもしれないです。ただ、それがトッププライオリティではない。トッププライオリティは明確で、教育的コンテンツであることなんです。あの場所が、先ほども言ったように社内の人間にとっての教育にもなるし、出会いの場でもある。それがコミュニティにもつながってくるのだと思います。来てくれるお客さんにとっても、美術というもののファーストステップを、いまの SCACはもたらしているという意味で、教育的な場であるということは意識しています。そこからコミュニティにつながることはあるかもしれないですね。
原田:教育的なアプローチが、結果的にそこに何らかのコミュニティを生む。そういう順番なんですね。
中村:そうですね。コミュニティが一番目ではないですね。
柳原:僕はいまのお話を聞きながら、やっぱりプライオリティが一番高いのは、自分が置かれる空間のクオリティを担保することかなと。やっぱりちょっとわがままですよね。
中村:僕もそうしたいと思っているんですよ。でも、できないんです。最初の回で言ったように、自分が変わったタイミングがあって、だったら受け入れてつくろうという方向にシフトした。柳原さんはすでにできているんですよ。それが凄い。
柳原:コミュニティは手段ではありますが、その中で自分が納得できる場所をどうやってつくるかということは普段から凄く意識しています。やっぱり自分が置かれる空間を常に意識しているかなと思います。
原田:たとえば、中村さんの話にあったように、VAGUEという場所に集まる人たちに対して、教育や学びになるようなものを提供するとか、集まる人にこういう形でアプローチできるといいなといった意識は何かあるのですか?
柳原:教育というのはなくて、スタッフに対してもそれは同じです。でも、言葉ではなくて、ここで何か感じてもらえたらいいなという希望として、こうなったらいいなというのはあります。ただ、教育したいとか、ここにいるからには自分の思想で動いてほしいといった欲求はないですね。
山田:やっぱりコミュニティは同質性を求めがちだから、似たような人が集まりやすいじゃないですか。おふたりの場にもそうなる危険性が全然あったはずなのに、いろんなイベントやコンテンツをつくり続けていることで、それが巧みに回避されている気がするんです。
場が宗教化していくというか、ひとつの世界観に集約されていくこともあり得るけれど、両者ともちゃんと世界観はありながら、いろんなタイプの人がいろんなきっかけで来るから、結果としてコミュニティが生まれているとしても、極端に「こういうタイプの人だけが行く場所」にはなっていない。それが健全だなと思います。
SKWATは本当に老若男女いろんな人がいるなと思います。中村さんには嫌な言い方かもしれないけれど、最初はInstagramでバズって、あのネオンの前で写真を撮ればいいみたいな場所になっていくのかなと思っていたら、全然そんなところを乗り越えていった。いろんな面白いタイプの人が来ていて、ファッションに興味がある人もいれば、カルチャーに興味がある人もいるし、結構なレコードマニアもいるし、近隣の方がふらっと来ることもあって、そこがいいなと思っています。
VAGUEも同じでいろんなコンテンツをやっているから、アートの人もいれば、器を見に来る人もいるし、食べることが好きで来る人もいるし、お酒を飲みたくて来る人もいる。そういう多様性が結果として生まれていったというのが、現代における凄く良いコミュニティのあり方だと思うんです。
ここまで度々話に出てきているアセンブルがやっていることも同じですよね。アセンブルはローカルコミュニティに対して、継承や巻き直しの意味で場をつくることが多いけれど、それによってコミュニティが更新されていく。そういうことがこの2つの場でも起きていて、それは非常に21世紀型のコミュニティのあり方なんじゃないかという気がします。
原田:中村さんから、自分の思想を表明する場としてSKWATやSKACがあるという話があったと思いますが、必ずしもその思想に共感する人だけが集まらなくてもいいという考え方なのですか?
中村:共感してもらえるための場を用意したという感じですね。
原田:なるほど。
中村:体感した上で、共感してもらうというところですね。
原田:では、入り口は広くすると。
中村:入り口はとにかく広くしたいと思っています。Instagramがバズってという話もありましたが、あれはもうバズらせに行ったんですよね。前に話したかもしれないですが、あのネオンはCCA(The Canadian Centre for Architecture)と一緒につくったアート作品なんです。そこで絶対写真を撮るということも含めて、あえて作為的にやりました。あそこで撮ることによって、世界中にSNS を通じて “Museum is not enough” という言葉が広がっていく。撮った本人は、その意味まではわかっていないかもしれない。でも、その言葉が勝手に独り歩きしていってくれることが重要だったんです。それは現代社会だからこそできることで、必要な行為だと思ったし、僕の中ではそれがアート行為でもありました。インタラクションアートという表現をしますけど。
原田:中村圭佑さんと柳原照弘さんをお迎えするシリーズ、3回目は対談形式で、デザイナーが場を持つ理由、そこにどんな価値が生まれるのか、場を持っていることがものづくりに与える影響、そこで生まれるコミュニティの話など、いろいろ伺ってきました。
次回は、この話の延長になると思いますが、実際に場をつくって継続的に運営していくことでどんなことが育っていくのか、場に蓄積していく時間の話や、それに伴う変化、継続することで何が起こるのかというあたりを中心に聞けたらと思っています。今回もありがとうございました。
中村:ありがとうございました。
柳原:ありがとうございます。

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