原田:先週まで、21_21 DESIGN SIGHTで8月9日まで開催されている『スープはいのち』の展覧会ディレクターで、デザイナーの遠山夏未さんをお招きするシリーズを、前後編2回にわたってお届けしてきました。今週からは、また新しいシリーズがスタートします。今週からご登場いただくのは、アートディレクター、グラフィックデザイナーの田部井美奈さんです。田部井さん、よろしくお願いします。
田部井:よろしくお願いします。
山田:よろしくお願いします。
原田:山田さんは、最近田部井さんとお仕事をされているという話を聞きましたが。
山田:そうですね。最近、バング&オルフセンというデンマークのオーディオブランドの本を僕が編集とライティングを担当しているのですが、そのアートディレクションとデザインを田部井さんにお願いしました。素敵な本に仕上がりましたので、ぜひ皆さん書店で手に取ってみてください。でも、お付き合いは本当に長いですよね。
田部井:そうですね。10年? 20年? いつくらいにお会いしたんだろう(笑)。
山田:いつからかもうわからないですが、長いお付き合いです。
原田:僕は田部井さんとは数回お会いしていますが、雑誌の取材でお話を聞かせていただいたのも多分7、8年前ぐらいだったと思います。
田部井:そうかもですね。
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原田:数年前には、JAGDA、日本グラフィックデザイン協会の僕も一応会員なのですが、オンラインのトークを継続的に行う企画があって、そこで田部井さんに「デザイナーの自主制作」というテーマでお話を伺いました。でもそれも多分1年以上経っていて、しかも対面は本当にお久しぶりという感じです。
今日、田部井さんをゲストにお招きしている理由のひとつなのですが、いまお話ししたJAGDAに亀倉雄策賞という賞があります。亀倉雄策さんは言わずと知れた日本を代表するグラフィックデザイナーで、1964年の東京オリンピックのエンブレムやポスターなどでよく知られている方ですが、実はJAGDAの初代会長でもあります。その亀倉さんの名を冠した賞がJAGDAにあるんですよね。JAGDAには年鑑があり、毎回JAGDA会員が応募して、そこから掲載作品が決まる形になっています。JAGDA新人賞なども実はそこから選ばれているのですが、その年鑑に出品されている作品の中で、その年で最も魅力的な作品の作者に与えられるのが亀倉雄策賞です。
山田:「魅力的」というところなんですね。亀倉賞はもちろんよく知っていますが、まさかその理由は「魅力」なんですね。
原田:「魅力」はどうやって決めるのかと(笑)。
山田:結構抽象的なんですね。
田部井:意外と改めて見てみるとそうですね(笑)。
原田:歴代の受賞者は、第1回が田中一光さんで、それ以降も本当に錚々たるデザイナーの方々が選ばれています。
山田:グラフィック界の最高の賞という。
原田:もちろん、JAGDAに入っていないグラフィックデザイナーもたくさんいますが、ある意味ではその年で最も優れた作品とも言えますよね。この度、第28回の亀倉賞を田部井さんが受賞されました。2025年にギンザ・グラフィック・ギャラリーで開催された個展『光と図形と、その周辺』がその対象作になっています。改めて、この度はおめでとうございます。
田部井:ありがとうございます。
原田:この受賞自体は、実は今年の初めにすでに決まっていたのですが、7月からちょうど亀倉雄策賞受賞記念の展示がありまして、このタイミングでゲストにお呼びさせていただきました。ここから全4回にわたって、田部井さんに色々お話を伺っていきます。後半の3回目、4回目は、田部井さんにゆかりのある方や、今回の展覧会に関連するゲストの方をさらにお招きし、対談形式でお届けしていきたいと思っています。3回目は、いまお話しした個展『光と図形と、その周辺』の会場構成を担当されたデザイナーで、田部井さんの旦那さんでもある中原崇志さんをお呼びします。そして4回目は、いまお話しした亀倉雄策賞の記念展示のすぐ後に同じ会場でJAGDA新人賞の受賞展が開催されるのですが、3名のJAGDA新人賞受賞者の中から浅野隆昌さんにお越しいただく予定です。
本編に入る前に、田部井さんのプロフィールをご紹介させていただきます。田部井美奈さんは、1977年、埼玉県生まれのアートディレクター、グラフィックデザイナーです。武蔵野美術大学短期大学部を卒業し、2003年より服部一成さんに師事し、同時にフリーランスとしての活動を開始しました。2014年に独立し、田部井美奈デザインを設立。広告、書籍、パッケージ、空間構成など、幅広い領域のデザインを手がけられています。これまでの主なお仕事に、武蔵野美術大学、NHK大河ドラマ『光る君へ』、PARCO CHRISTMASなどのビジュアル、『マティス展』などの告知宣伝物、石川直樹『奥能登半島』、山崎ナオコーラ『ミライの源氏物語』、能町みね子『結婚の奴』などの装丁、(NO) RAISIN SANDWICH、Mame Kurogouchiのパッケージデザインなどがあり、東京ADC賞などの受賞歴があります。また、展覧会やZINEの制作などを通じて自身の作品を国内外で発表し、2025年にギンザ・グラフィック・ギャラリーで開催された個展『光と図形と、その周辺』で、第28回亀倉雄策賞を受賞されました。
今日の初回では、これまでの田部井さんの活動を振り返りながら、田部井さんのグラフィックデザインにはどんな特徴があるのか、その背景にどんな考えがあるのか、田部井さんのグラフィックデザイン観を伺っていきたいと思っています。
山田:実は「デザインの手前」では、その方がどうしてデザイナーになったのかといった、いわゆる経歴の話は、割と聞かれがちなのであえて回避しているところがあります。でも今日は、田部井さんの経歴のところから少しお話をお聞きしていきたいと思っています。
原田:というのも、実は田部井さんは僕らとそれほど世代が変わらないので、割と見てきたものが同じなのかなという気もしています。プロフィールでもご紹介した服部一成さんのもとで、10年ぐらいお仕事をされていたと思いますが、服部さんのお仕事には、キユーピーハーフのような広告のお仕事ももちろんありますが、いまはなくなってしまった雑誌『流行通信』のアートディレクションなど、ファッションやカルチャーに親和性の高い仕事も多くあります。グラフィックの表現自体も、単なる情報伝達や販売促進ではなく、もう少し単体の視覚表現として成立しているようなものだったのかなと。
山田:カルチャーですよね。
原田:そうですね。ロジックだけでは説明できないような造形や、ちょっとした違和感も含めて、それが非常に魅力的で、当時から多くのフォロワーも生んだデザイナーだと思っています。
山田:服部さんご自身も、さらにその上の仲條正義さんに強い思いをお持ちですよね。仲條さんのように、服部さんも僕たちからするとスーパースターというか、ご本人に会うと凄く気さくで、大物感が良い意味であまりない方ですが(笑)、それでも僕たちの世代は、服部さんに憧れていました。
原田:影響は大きいですよね。
山田:グラフィックに関わっていないような、いわゆる普通の学生や文化が好きな若い世代にとっても、服部さんの仕事というだけで吸引力がありました。そういう時代をつくられた方で、もちろんいまなお影響力は強いと思いますが、特に当時はグラフィックそのものの力が、いまとは少し違う意味で社会に影響を与えていたところもあるかなと思います。
原田:まだコミュニケーションの中心が紙媒体で、特に雑誌の力も強い時代でした。そうした中で、純粋なグラフィック表現の強度で勝負がまだできたというか、グラフィックデザインのピュアな魅力が輝いていた時代だと思います。それこそ90年代後半から2000年代には、まだレコードジャケットやCDジャケットがあり、例えば渋谷に行って、アパレルのお店に行ったり、レコードショップに行ったりすると、そこには常にグラフィックがあった。グラフィックカルチャーと街で出会う体験があったんですよね。おそらく田部井さんにもそういう影響があるのではないかと感じています。そのあたりのグラフィックデザインや視覚文化、視覚表現のカルチャーとの出会いから、ぜひ聞いてみたいと思っていました。
田部井:そうですね。本当にいまおっしゃっていただいたような感じで、もともとカルチャーが凄く好きだったんです。雑誌を買ったり、ラジオを聴いたりするのが好きだったり、単館映画のようなものに憧れがありました。知らないもの、大衆向けではないような匂いがする、少し変わったものを見つけた時に凄く嬉しいという感覚がありました。そうしたものと同じような気配を広告、例えば駅の看板、テレビCM、雑誌を買った時の雑誌広告に感じることが徐々に増えてきた時期があったんです。それが自分としては凄く衝撃的な記憶でした。
10代の後半に、映画や雑誌をつくるというのは、いわばカルチャーをつくるという目的でやっているもので、それを好きな人ががんばって見に行く、自分で取りに行くタイプのものだったと思うんです。でも広告という世界に、それがばばっと散らばっていた時期があった。そうすると、そういうものが無意識に入ってくるわけですよね。それが実は凄いことなんじゃないかと。大衆の中に馴染ませるというか、かつそれが実は商品を売るためのイメージ戦略でもあって、これをつくった人たちがどうやって作戦を練って、完成まで持っていっているんだろうと考えたら、凄い仕事をしているんじゃないかと思ったんですよね。カルチャーのためのカルチャーではなく、カルチャーを取り込んだ情報伝達の広告やグラフィック、本などが、10代の後半から凄く気になるようになりました。例えば、「この広告は誰がつくりました」とか、「このCMは誰がつくりました」とか、「本の装丁は誰がやっているのか」といったことを紹介している雑誌を買い始めたのが、10代の終わり頃だったと思います。
原田:もともとカルチャーにおけるグラフィックは、「わかる人にはわかるでしょ」というある種の記号になっていたと思いますが、それが大衆に情報を伝える広告の世界にも増えていったということですよね。例えばそれはどういった広告ですか?
田部井:わかりやすいものだと、パルコとかですよね。パルコもそうですし、もちろんキユーピーハーフもそうです。CMも凄く好きでしたから、あの時代のCMを見ていて、自分が買っていた『Olive』などの雑誌に起用されているモデルさんが、キユーピーハーフのCMでめちゃめちゃ可愛い映像に出ていたり、凄くたまらないなということが結構ありました。
あとは、佐藤雅彦さんも凄く衝撃的でした。CMなのに押し付けられていない感じがするというか、凄く楽しくて好きで、何回でも見たいと思えるものでした。その頃は、そういうものを結構見ていたと思いますね。
山田:それこそ、何度でも見たくなるコマーシャルみたいなものがあの頃はたくさんありましたよね。それこそミュージックビデオのようなものもそういう流れでしたよね。
田部井:そうですね、ミュージックビデオもありましたね。
山田:服部さんもそうですし、先ほど話した仲條さんもそうですが、何の広告かわからないのに、ビジュアルとしてそこにあって。「仲條さんだからこれは資生堂だろう」と。普通は逆じゃないですか(笑)。グラフィックの中にもテキストにも、全然資生堂を匂わせていないけれど、なんとなく伝わってくるものがあったりする。
原田:当時は、音楽やファッション、映画などと広告が並列に受け入れられていた時代でしたよね。いまではなかなか考えにくいかもしれないですが、特にグラフィックにおいてはそういう時代だった気がします。必ずしも服部さんがその象徴的な存在というわけではないとは思いますが、そうした時代背景の中で輝いていた方のひとりだと思っています。その服部さんのもとで10年ぐらいお仕事をされていて、それは田部井さんにとってどんな経験だったのか、改めて聞いてみたいなと。
田部井:そうですね。服部さんは『流行通信』のアートディレクターを2年間やっていらしたのですが、後半の1年間の時に就職することになりました。月刊誌だったので、かなり忙しい時に入ったのですが、パソコンに向かってカチカチつくるということだけではありませんでした。もちろん文字組をどうするのか、レイアウトをどうするのか、こういう場合の入稿方法をどうするのか、紙をどうするのかなど、そういう技術的なことも凄く学びたかったし、もちろんそういう側面もありました。ただ、具体的にデザインをつくっていくという技術以外のところでなんとか工夫をして面白いページにしようという、創意工夫と言ったら簡単ですが、そういうことをずっとやっている時に自分が入ったので、とにかく最初は楽しかったですね。大変なのですが、「こういうつくり方をしてもいいんだ」とか、ちょっとしたアイデアを言うと、「面白いね、やってみよう」となることもありました。普通の雑誌づくりはこうじゃなきゃいけない、ファッションのビジュアルページはこうじゃなきゃいけないというルールがあったかもしれないんですけど、それがないようなものづくりをしていて、それがとても刺激的でしたね。「こういう考え方でやってもいいんだ」「ページが生き生きするならそれでいいんじゃないか」と。
あと、服部さんはグラフィックへの愛が凄く強いんです。そういうこともあるのか、とても粘るんですよね。粘るし、案もいっぱいつくるし、ギリギリまでやる。その執着には、多分凄く影響を受けていると思います。ここまでやらないと出てこない、掴めないということは結構目の当たりにしていますし、ひとつのものをつくる時にはそれくらいの熱量でやらないとできないということを、そばにいて浴びていました。だから、そういう態度でやらないといけないことなんだというのは、その10年の間にだいぶ染み込んだんじゃないかなと思っています(笑)。
原田:冒頭でも紹介したギンザ・グラフィック・ギャラリーでの展覧会は、慣例的に展示をするデザイナーの小さな作品集のようなものがつくられるのですが、毎回特集される人にゆかりのある方が冒頭でコメントを寄せるんですよね。田部井さんの作品集では、服部さんから見た田部井さんについての文章が書かれていて、先日改めて見させてもらって面白いなと思いました。ハイヒールで出社をすることへの田部井さんのこだわりや、おそらく後半の話だと思いますが、もはや田部井さんが事務所を回しているとか、服部さんのデザインのチェックを田部井さんがしているといった話があって、意外とそういう関係だったんだと(笑)。
服部さんが田部井さんの作品について、「太陽が照っていて湿気の少ない快適さ」「明るく乾いた詩情」という言葉で表されていて、言えて妙というか、画面の中の軽やかさや面白さが田部井さんのグラフィックにはあるなと思っています。こうした田部井さん自身のグラフィックにおける作風は、いつ頃からある程度確立されてきたのでしょうか。冒頭でもご紹介したように、服部さんの事務所にいながら個人の仕事も並行して始められていたと思いますが、ご自身のグラフィック表現の方向性がある程度見えてきたのはいつ頃だったのでしょうか?
田部井:服部事務所に入ったのが26歳ぐらいで、そこから色々な仕事をして、徐々に担う役割も増えてきた30歳前後ぐらいだと思います。例えば、『真夜中』というリトルモアから出ていた文芸の雑誌があったのですが、見出しの周りに少しグラフィックを入れたり、数ページにわたってあるテーマで装飾することがありました。それを山下ともこさんという、その時に事務所に一緒にいて、いまも服部さんの近くにいる方と服部さんと3人で、それぞれ担当のコーナーや著者を決めて連載を回していた時がありました。そこに入れるグラフィックをやらせてもらえて、文章を読みながらコンスタントにたくさんグラフィックをつくっていた時期がありました。幾何学や円などシンプルなグラフィックを組み合わせることで模様をつくり、それが立体的に見えたりするよう方向性は、その頃からちょっとずつ見えてきたような気がしますね。
原田:ある種、最も基本的な造形や最小限の形を使って、いかに面白い平面の表現を実現できるかということですよね。
田部井:そうですね。
原田:平面の表現ではあるけど少し立体感がおかしかったり、だまし絵っぽい感じがありますよね。さらには、くまのプーさんの展覧会では、アルファベットがそれこそ平面から飛び出して立体になって展示の中に入ってきていました。あと、建築家の大野友資さんとされたMEGRO MERCでの展示でも、施設の建築の過程で生まれた建材や図面、CGのようなものをドローイングで表現するようなことをされていましたよね。立体と平面をご自身の頭の中で色々変換しながら、普段から物事を見ているような感じがするというか、そこが田部井さんの特徴なのかなという気がします。
田部井:それは多分、私がいいなと思うものや、自分がやってみたいと思うものが、手が少ないというか、そんなに入り組んでいないのに成り立っているものだからなのかなと。そういうものを見た時に、「凄い。こういうのをやりたい」と嫉妬したり、「どうしたらこういうものがつくれるようになるんだろう」という気持ちになることが多いんです。そういうことを意識していくと、平面なんだけど少し立体に見えるとか、「ここの線がここにぶつかっただけでそう見える」ということが、少ない手数で成り立たせる秘訣だとどこかで思っているんです。グラフィックのちょっとマジックが起きるというか。だから、結果的に平面と立体を行き来するようなものになっているのかなと思います。
原田:グラフィックにおけるマジックという話がありましたが、そういうものが起こる時、画面の中にある種のルールや秩序のようなものがある気がします。自然現象とまではいかないですが、田部井さん独特の秩序みたいなものが画面の中で出来上がっている気がしています。基本的にグラフィックデザインは、重力など自然現象の影響を受けない表現なので、極論すれば自由に何でもつくれる世界でもあると思います。ただ、自由なだけでは成立しにくいから、グリッドシステムのような秩序もある。でもそういう秩序とはまた違う、田部井さんならではの画面の中での独特のルールのようなものが成立している作品が多いのではないかと。そういうものはどうやって立ち上がってきているのでしょうか。ある程度最初にルールを決めてつくっていくのか、それともつくっていく中で何かしら秩序が見えてくるのか、どういうプロセスでつくっているのでしょうか?
田部井:どちらかというと後者だと思います。最初におぼろげなイメージがあって、「こういう佇まいにするのが良さそうだな」「とりあえずこの形を画面の中に入れてみよう」という感じでやってみたりします。タイポグラフィもグラフィックには必ず入るので、とりあえず入れてみる。その時に、それぞれが持っているキャラクターや役割、特性にできるだけ自分が寄り添うというか、それに従うような気持ちでつくっています。「丸だから左にちょっとゴロッとするよね」とか、「ここに棒があればその丸が止まるよね。じゃあその棒で止まった先には何があるかな?」というような作用のようなものですね。それが文字の場合もあるし、図形的なものの場合もあるし、色の場合もあって、色だったら乗算すれば、2色の色が混ざる。それも自分が決めたというよりは、そうなってしまうことで、「なっちゃう」みたいなことが自然に見つかるまで色々やって、それが見つかってくると、だんだん成立してきたかなという感じの画面になっていく気がします。
山田:頭の中では3Dで考えるのですか? それとも2Dで考えるのですか? いまの話を聞くと、3Dで考えているのかなと。
田部井:でも、多分2Dだと思いますけどね。
山田:さっき原田さんが言ったように、田部井さんのグラフィックは凄く3Dっぽいというか、奥行きがありますよね。縦・横に斜めが入るというか、XYだけではなくてZ軸が入ってくるような、不思議な感覚があるんですよね。原田さんが話したようにトロンプ・ルイユでもエッシャーの絵でもないですが、平面なのに奥があるような、心地よい騙され感がある。だから、頭の中がどうなっているのかがやっぱり気になりますよね。
田部井:それでいうと、多分自分がわからなくなるようにしたいというのがあります。自分も見て、「え、どういうことだ? どうなっているんだ、これ?」と思うところまでいけると、それは本当に画面の中のものたちが起こしている感じになっているというか、そういうことを待ってやっています。だから、頭の中がどうなっているかと聞かれると、多分わからないところまで行くようにしているということなんですかね。
原田:わからなくなりたいというところは、予定調和からいかに脱却するかということにつながっている気がします。それでいうと、「光と図形」も含めてそれが自主制作に取り組んでいる動機にもつながるのかなと。クライアントワークでは、どうしても超えられない枠を超えるために自主制作があるのかなという気がします。
田部井:まさにそうですね。あまりいいことではないですが、たくさん仕事をしていると、「こういう時にはこう」というちょっとしたパターンのようなものが、どうしても出てきてしまうことがあります。変な話、「田部井さんはこういうのが得意だから、こういう感じでつくってください」と言われることもあったりすると、それに従ってしまう時もあります。もう少し他の領域があるはずなのに、最初から最短距離で仕事をしているような怖さが少しあるんです。ずっと仕事だけをやっていると、そういう気持ちになることがあって。自分自身がグラフィックを凄く好きだという気持ちをちゃんと忘れないようにしたいし、その気持ちを仕事にきちんと生かしたいと考えた時に、自主制作というのは自分自身のグラフィックを探求することができる。それは自分のできることの拡張にもなるし、グラフィックに対して真っ当に向き合えているポジティブな気持ちの芽生えにもなる。実際に新しい自分の表現ができるようになると、仕事にもやっぱり活かせます。そうすると循環していくし、自分も凄く拡張されていくという感覚は、自主制作をすることで起きる気がしています。
原田:武蔵美のポスターも、「光と図形」をクライアントワークとして発展させていったような仕事でしたよね。
田部井:そうですね。その前の年に「光と図形」でつくったポスターを、次年度のビジュアルのプレゼンの時に持って行って、「こういうものを武蔵美バージョンでやりたいです」と教授たちに言いました。そうしたら凄く喜んでくれて、それでトライしたという感じですね。
原田:継続的にあるテーマで自主制作を続けて、それが発展していった結果として、今回の亀倉雄策賞を受賞した展覧会にもつながったという形だと思います。次回は、『光と図形と、その周辺』という展覧会の話を中心に、立体と平面、写真とグラフィック表現といったところをより深く掘り下げていきたいと思います。
山田:今日もそれを聞きたくて、うっかりそちらの方に行きそうになりながら、「これは次回にしないと」とずっと思っていました(笑)。
原田:アートディレクター、グラフィックデザイナーの田部井美奈さんをお迎えするシリーズ1回目は、田部井さんのグラフィックデザインの背景にある考え方や、自主制作も含めて日々どんなことを考えながら制作に取り組んでいるのかを伺ってきました。次回は、いまお話ししたように、自主制作の一環でつくられ、亀倉雄策賞の受賞作にもなった「光と図形」というオブジェと鏡を用いた写真作品の話を軸に、グラフィックと写真のあいだに広がる表現の可能性について聞いてみたいと思っています。田部井さん、今日はありがとうございました。
田部井:ありがとうございました。
山田:ありがとうございました。

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