毎年夏が来るのに、私は毎年違う夏をデザインしています。
少し不思議な仕事ですよね?
夏を表現するモチーフは、昔からほとんど変わらないのに。
青空、入道雲、海、ひまわり、扇風機。
それでも毎年、「今年らしい夏をお願いします」と依頼されます。
同じ夏なのに、なぜ毎年違うデザインを考えるんだろう?
その答えを、私は「流行」だと思っていました。
でも最近、少し違う考えになったんです。
コンビニを出た瞬間、強い熱気に包まれた。
反射的に日陰へ移動し、冷房の効いた店内を振り返る。
去年も同じ場所を歩いたはずなのに、今年は無意識に「涼しい場所」を探している自分がいた。
その時、ふと思った。
今年の夏は、去年とは違う。
でも、本当に違うのは夏なんだろうか?
夏は毎年やってきます。
強い日差しも、蝉の鳴き声も、夕立の匂いも、大きくは変わりません。
近年は少し暑すぎますが…
子供の頃は、夏休みが永遠に続くように感じていました。
早朝のラジオ体操、日中は海などで遊び、夕焼けを見ながら帰る。
あの頃の夏は、とてもゆっくり流れていました。
でも今は、気づけば夏が終わっています。
仕事をこなし、暑さを避けながら過ごしているうちに、季節はいつの間にか通り過ぎていく。
夏が短くなったわけではありません。
変わったのは、夏を見る私自身。
年齢が変わり、暮らしが変わり、社会が変わる。
だから同じ景色でも、心が求めるものは少しずつ変わっていきます。
デザインの仕事をしていると、その変化を毎年のように感じます。
以前なら、どこまでも広がる青空や眩しい海は、「夏らしさ」の象徴でした。
開放感があり、元気があり、未来への期待を感じさせる。
でも最近は、少し違います。
木陰のベンチ。
ガラスについた水滴。
冷房の効いたカフェの静けさ。
窓辺で揺れるレースのカーテン。
そうした光景に、以前よりも心が動く人が増えたように感じます。
それは流行ではありません。
猛暑が当たり前になり、働き方が変わり、人の暮らしが変わった結果ですね。
だから私は、夏らしい写真を探す前に、「今年、人は何を心地よいと感じるのだろう?」と考えます。
デザインとは、季節をただ飾る仕事ではなく、その季節を生きる人を観察する仕事だからです。
その仕事は、AIの登場によってさらに難しくなりました。
今では美しい夏のビジュアルなら数秒で生成できます。
青空も、入道雲も、透明な海も、きらめく水滴も、驚くほど自然に描いてくれる。
技術だけを比べれば、人間との差は急速に詰まってきてます。
それでも「人間のデザイナーの役割」は、これからも残り続けるとは思っています。
AIは「夏らしい絵」を描くことは得意。
でも、「今年の夏、人は何を見て安心する?」までは教えてくれません。
駅で自然と日陰を選ぶ人。
冷たい飲み物を手にした瞬間、少し表情が緩む人。
「どこへ行こうか?」より、「どこなら涼しいだろう?」と考える人。
そんな小さな変化は、街を歩き、人を見て、空気を感じなければ見えてきません。
デザインは、美しいものをつくる技術ではなく、その時代の空気を翻訳する仕事なのだと思っています。
なので、「毎年違う夏」をデザインしているわけではありません。
毎年違う人に向けて、同じ夏を描き直しています。
季節は繰り返す。
でも、季節を迎える人は、毎年少しずつ変わっていく。
社会も、価値観も、日常も形を変えていきます。
デザインは、その変化に気づく仕事です。
新しい表現を探すことよりも、新しくなった人の感覚を見つけること。
そこから、本当の「今年らしさ」は生まれるのだと思います。
来年も、同じように夏はやってくるでしょう。
青空は変わらず青く、蝉は同じように鳴く。
それでも私は、また「今年らしい夏」を探し始めるはずです。
それは、新しい素材や色を探しているのではありません。
新しい人を探すんです。
デザインは、季節を記録する仕事ではありません。
その時代を生きる人の感覚を、記録していく仕事なのだと思ってます。
了
P.S.
夏といえば、我が故郷の新潟県佐渡ヶ島。行くなら夏が良いんですよね。
今年も帰省したいなと考えてます。
佐渡に興味のある方、写真だけでも見ていってください ↓
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