How to create an Outline #3
「どんなのが好きなの?」と聞かれて、一瞬固まったことがあります。
子どものころは即答できたはず。
でも今は固まってしまう。
その「固まり」の中に何があるのかを、この記事では観察します。
水は、透明なうちは何の色も主張しない。
何かが混ざって、初めて色が見える。
「好き」もそれに似ている。
ベタですが、「ドラゴンボール」が好きです。
好きな気持ちでは誰にも負けないと思っていた。
だから何度も模写した。
形にすれば、好きの深さが証明できると信じていた。
ある日、自分より圧倒的にうまい模写を見た。
そして自分が描いた絵を見る。
見慣れていたはずの線が、急に「言い訳をしているように」見えた。
上手い下手の話ではなかった。
その線が、「好きだ」という主張として成立しなくなった。
そういう感覚。
比べる前、「好き」はただそこにありました。
透明な水のように、根拠も主張も必要とせずに。
比べた瞬間、「好き」は主張に変わりました。
ただ、主張には根拠が必要です。
「これだけ形にできている」
「これだけ時間をかけた」
そういう証拠が「好き」を支えるようになりました。
証拠が崩れると「好き」も揺れる。
でも本来、「好き」に証拠なんて必要ありません。
その事実がかえって見えにくくなってしまうから。
グラフィック制作をしていたとき気づいたこと。
参考にしていたデザインとすごく似ていた。
意図したつもりはなかったのに。
でも、線の選び方、余白の感覚、どこかが重なっていた。
それに気づいた時、そのデザインを「好きだ」と言う前に、一拍の空白が入るようになってしまった。
その一拍は何か?
言語化するより先に体の中に溶け込んでいた
ということ。
好きなものは、分析して取り込むより先に見続けることで水に溶けるように入ってきます。
気づかないまま取り込んでいたのは、それほど深く見ていたから。
恥の正体は好きの深度。
ドラゴンボールの話と、グラフィックの話。
表面的には違います。
前者は、他者の技術に触れたこと。
後者は、好きだったものが自分の内側に溶け込んだこと。
種類は確かに違います。
でも、透明だった水に何かが入った
という構造は同じです。
興味深いのはその後。
水に色が入ったとき、最初は「濁った」と感じます。
でも少し時間が経つと、その色を「元からある自分の水の色」だと思い始めるんです。
最初からそこにあった色と、後から混ざった色の区別ができなくなる。
他者の目線や評価が溶け込んだ「好き」も、気づけば自分の感覚として定着している。
その水を透明だと信じたまま、次の「好き」を判断していく。
輪郭は、そういうところからゆるやかに形が変わっていく。
「好き」と言えなくなったのは、「好き」が薄れたからではありませんでした。
「好き」に他人の目が溶け込んだから。
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