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ムラサメデザイン · Jul 30, 2026

初めてのノマドワーク先である被災地で受け止めたこと

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ムラサメ | 伝わるデザイン・ディレクター · ムラサメデザイン

先日の熊本地震にて被災された方々の平穏な日常の復帰を心より祈ります。

予定を変更しての被災地に関係する内容ですが、ショッキングな表現・画像は使用してません。

地震大国である日本。
時折起こる大きな揺れは、想像以上の実被害と心身への影響を及ぼします。

この国で営む以上、常に意識しなくてはいけないことですよね。

思い出すのは2011年3月11日の東日本大震災。
当時新宿で働いていた私は、大きく揺れるビルと、青梅街道を徒歩で帰路に着く多くの人たちの光景が今でも忘れられません。
それから2週間ほど経過した後、友人達が宮城県へ物資を届けると聞きました。

同行したい気持ちもありましたが、当時は会社員であり、無理してまで大勢で行くことは無いと判断。
しばらくは訪れたことのない仙台〜石巻周辺の情報を、友人から聞いたり、送られてくる写真を見たりすることが続きます。


友人達は何度も通う中で、行動範囲が牡鹿半島へ及び、被害を受けた立派な古民家改修に携わっていると聞いていました。

それから改修作業は5年近く続きます。
長く続いたのは、予算が多いわけではないことや、それぞれ別の仕事の合間に通っていたことも関係してますね。

時は流れ2017年初頭。
ちょうど私が会社を辞めたタイミングで、いよいよ改修作業も終わりが見え、食堂としてオープンすることが決定したとのこと。
その食堂のWebサイトやSNS運営、ビラなどの制作を依頼されることになります。

現地の情報は得てましたが、実際赴いてその場の空気を感じたり、周辺住民の話を聞かないことには制作はできないと考え、震災より6年経って石巻に向かいました。

その道中、私に見せるために敢えて通ってくれた常磐道で見た福島の光景は特殊でしたが、テーマと外れるため割愛します。
とにかくそれまで見ることのなかった現実を目の当たりにし、被害の爪痕に胸が詰まりました。

初めて訪れる石巻の国道沿いは、想像以上に綺麗だったのもそのはず、友人達が来た頃に比べると信じられないほど整備されていたようです。

綺麗ではあるものの空いている土地が多く、牡鹿半島へ近づくに連れ現れるプレハブが印象的でした。

石巻市内より小一時間、目的地である大原浜町という場所へ到着。
初めて肉眼で見る古民家は綺麗に改修されており、立派であるが故に作業が大変だったことも伺えます。
そして1週間後にオープンを控えるとなると、まだやることが多いなと察しました。

襖に絵を描く同級生のペインター

私はWebサイトのベースだけは先に構築していて、現場では主に撮影した写真などを配置し公開する作業。
初のノマドワークであり不安もありましたが、出かける前に現場入りしてからの行動予想を徹底し、自宅のPCともリモートで繋げていたため作業自体に支障はありませんでした。

とは言え準備を手伝う手は多い方が良いので、現場作業をしながら、度々訪れる周辺住民の方と交流などしてましたね。

その中で知ったのですが、津波被害を受けたこの区域では、原則として新築・建替えが制限されてます。

この古民家も海抜が原因で住居としての使用はできません。
そのため、寝泊まりも基本NG。
ここのスタッフとして働く人のための住居が少し離れた場所にあり、そこで皆で合宿のように過ごしてました。

上の写真右にベージュのプレハブがありますが、元々この場所に建っていた家のおばあさんが1人で住んでいて、移動できる仕様(基礎のないモバイルルーム)としての例外だそうです。行方不明になったおじいさんを待ち続けていました。

外から入ってくる人は住めず、住民が増える事自体難しい場所。

こうやってこの場所の状況を知りながら、お店はいよいよオープン当日を迎えます。

これが2017年4月22日の出来事。

周辺へビラを撒き、関係者のSNSで告知し、ラジオに取り上げてもらったことなどからオープンから3日間は盛況でした。

初日には地元メディアの方にも来ていただき、石巻市以外の遠方からいらっしゃる方も沢山いましたね。

関わった時間はわずかでしたが、皆の貢献が実を結び、人が集ってくれたことはただただ嬉しかったです。

それからオフシーズンとなる10月辺りまでの半年、何度か通いましたね。

友人ミュージシャンを呼んでのイベントや、提供してくれたフットウェアブランド「KEEN」のスタッフと訪れたり、この年に増えた東北でのイベントの寄り道先として、また新しいメニューを食べたいためだけになど。

その度に知り合いも増え、輪が広がっていくのを実感してました。

ウッドデッキから見えていた海、今では6mの堤防が作られ見えなくなりました


オープン当初は環境が許す限り店を開ける予定だったようですが、特に11月以降になると、ほとんど行き交う人がいなくなる場所のためノーゲストの日も珍しくなく、仕入れなどの関係もあり、冬季は営業しない方針となりました。

後に聞いた話ですが経営方針はざっくりしたものだったようで、休業中のスタッフの問題が発生しますね。

スタッフも食べていかなくてはならないため、周囲の施設などで季節労働的に働いていたようですが、半島全体が冬場は同じ状況。

それでも翌年の春には再開しましたが、営業当初のような盛り上がりはありませんでした。

私はWebサイトやSNSの関係もあってやり取りは続けており、そういった情報は得ていたものの、石巻市内からでも往復2時間近く掛かる場所に、食事だけをしに来る人を劇的に増やすことはできません。

晴れてても平日は3〜4組程度、天気が悪ければノーゲストの日々。

調理人も流石に続けられず、結果としてこの年で閉業することになりました。

経営方針やマーケティングの甘さと言ってしまえばそれまでですが、当時の私の中では少なからずショックであり、今もしこりとして残っている出来事です。

ただそこで知り合った方々とは今でも繋がっていて、皆それぞれにたくましく営んでいるのは励みになってます。

襖絵は今もそこに佇んでいるはず


この出来事から復興については今でも度々考えます。

私の仕事と重ねると、建物(サイト)の完成はゴールではなくスタート、そこから生きていくことに繋げなければなりません。
申し訳なく思うのは、一瞬でも盛り上げてしまったために、より孤独を感じてしまう住民がいるのではないかということ。
その後も続く人間関係に繋げられなかったことが悔やまれます。


ではまたこの場での仕事を振られたらどうするのか?

私はきっと迷うでしょう。
経営方針にも口を出し、状況を見極め、また同じ道を歩まないようまずは深く話し合い調査すると思います。
本気であれば、以前の記事「地方創生とは言いますが」でも触れたように、この場に住み込み、住民と共に生きる選択が必要だとも。

それほどの覚悟を持った人間が集まらないと、真の復興なんて難しい。

そんな問題が日本には山積してます。

災害時に心配するのはもちろんですが、その後の歩みこそ応援するだけでなく協力しないといけないとは思いますね。

人はすぐ忘れます。
そして一個人ではどうにもならないことも多いのは確か。
だからと言って希望は捨てたくありません。

とにかくこの気持ちだけは永遠に忘れないようにと胸に刻んだ、とても大切な出来事の記憶。

これは今でも私の輪郭の一部です。


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