こんにちは、ムラサメです。
あなたは「レギュレーション」という言葉を知ってますか?
▼レギュレーションとは
「規則」「規制」「規定」「決まりごと」を意味する。
単なるマナーや推奨事項ではなく、「絶対に守らなければならない基準やルール」という公的・制度的な重みを持つのが特徴。
デザインの現場では、ロゴなど「変化させてはいけない要素」を扱う際の参照元。
今回は、そんなレギュレーションが関わる内容です。
以前、X(エックス)発信3年目という知人とのやり取りの中
「毎回投稿を作るのに時間がかかりすぎる。3年もやってるのに。」
話を聞きながら、私はある違和感に気づいた。
不満の内容が、1年目の人と全く同じじゃあないか。
3年間で何百本も投稿してきた経験は、どこへ行った?
その疑問への答えが今回の話。
投稿が伸びたとき、人は喜ぶ。
投稿がスルーされたとき、人は落ち込む。
ほとんどの場合、そこで終わります。
「なぜそうなったか?」を言語化して残している人は驚くほど少ないです。
これは砂浜に文字を書くようなもの、と私は捉えてます。
書いた瞬間はそこにある。
でも、波が来るたびに消えていく。
発信者の多くは、毎回砂浜に書いては消え、また書いては消えることを繰り返しています。
何も考えず3年間波打ち際に立ち続けても、手元には何も残りません。
「発信を続けるのが辛い」という人の話を聞くと、ネタ切れよりも判断疲れが原因であることが多いです。
このタイトルでいいか?
この色でいいか?
この構図でいいか?
ひとつひとつは小さい。
でもこれを毎回ゼロから判断していると、思考エネルギーは確実に削られますよね?
そして、さらに問題があります。
その判断の結果をどこにも記録しない。
なので翌週また同じ判断をしてしまう。
消耗の正体は量ではなく 再利用できない判断の繰り返し です。
口調がブレる。
デザインがブレる。
テーマがブレる。
「継続しているのにブランドが育たない」という声の裏側には、大体この構造があります。
意識の問題ではない。
「今日の自分」が「先週の自分」の判断を参照できていないだけ。
先週なぜそのビジュアルを選んだかを、今週の自分は正確には覚えていない。その時々の感覚で選べば当然ブレる。
ブランドは意志で作るものではない。
判断の一貫性が積み重なって、結果として形成されるもの。
ここで多くの人が誤解している内容
「ルールを作ると、表現が縛られる」
これ、逆なんです。
表現を縛っているのは、ルールではない。
判断基準がないことで生まれる「これでいいのか?」という不安。不安を抱えたまま作るとき、人は必ず小さくまとめようとする。
尖った表現を丸め、際どい言葉を安全な言葉に置き換え、自分らしさよりも「問題なさ」を優先する。
結果として不安が表現を縛っている。
ここでのレギュレーションは「こうしなければならない」という命令書ではありません。「これを基準に今回の判断を検証する」という実験ノートです。
同じ条件で比較できるから、何が効いて何が効かなかったかが見える。
↓
見えるから改善できる。
↓
改善できるから更新できる。
↓
更新されるたびに、自分の知見がレギュレーションという形で蓄積されていく。
固定ルールではなく、改善サイクルを回すための基準点なんです。
レギュレーションを意識すると、最初は窮屈に感じるはず。
「このトーンで書く」「この構造で組む」という制約を意識しながら作るのは、慣れるまで時間がかかります。
でも半年も経つと、ほとんどの判断を無意識に行うようになります。
制約を意識しなくなったとき、初めて制約は自由の土台になりますね。
型を覚えるのは、型を忘れるため。
型のない破り方は、ただの崩れ。
更新を繰り返したレギュレーションは、単なる作業マニュアルではなくなり、「その人らしさ」を再現できる知的資産になる。
発信3年目でも1年目と同じ悩みを抱える人と、3年分の判断が蓄積された人の差は、才能でも努力量でもありません。
経験を知識に変換する仕組みを持っているかどうかです。あなたの判断は今、どこに蓄積されていますか?
お読みいただき、ありがとうございます
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