私にとっての言葉になる手前の感覚は、波のようであり、
楽譜をなぞるように流れる音楽にも似ている。
そこに意識を向け表現しようとする、すでにその瞬間は通り過ぎている。
この作品を描いていた5年前から、その感覚は続いている。
この瞬間の高速フィルムなのだと。
日常、人生、現実とは、画面が絶えず右側に移動し続ける
スーパーマリオのゲームのようだと感じる。
私は私の美しさに見惚れていたいし、
美しさの原石を生涯磨き続けて私自身に感動していたい。
そのためなら努力したいし、惜しみなくエネルギーを注ぎ続けていきたい。
そんなことを思ったのです。
昨年ファッション×セルフポートレートプログラムに参加した時、
自分で自分の美しさを見つけること、
からだという素材の活かし方、新しい表情や動き、
その可能性を発見することに夢中になった。
ダイエットしようとしなくても、みるみる身体はしなやかに引き締まり、
さらに自分に見惚れていった。
誰よりも私が私のことをじっと見ていることが大好きだった。
プログラムを終えてからまもなく1年が経とうとしている。
そのあいだの休息期間のあいだに、私自身に美しいと感じていたことも、
私自身の美しさを見つけることも、なにより佇まいや自信、
私とは何であるかがなんだかよく分からなくなっていきました。
このなんだかよく分からない、ぱっとしない自分、時期、状態、
いまこの時間を許そう。許したかったのだ。そのようにも感じています。
美しさに視線を向け、意識を向けていくことは、
同時にその真反対の、醜さ、ときに野暮ったさとも出会うもの。
その時期を過ごしながら、私は私自身に見惚れて、原石を磨き続け、
私自身に見惚れていることをずっとし続けていたいのだと。
努力したいと思えるようなことに出会うことはとても豊か。
私の身体に、これまで甘えてしまってごめんなさい。
私のいのちへ、これまで見くびっていたことを許してください。
私は今日も、私の美しさに見惚れ、私が美しいと感じる景色や感覚に感動する。
ただ、そのことだけを感じて過ごします。
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