RSS Amplifier

こーべ通信 · Aug 29, 2026

内省:ホンモノの不条理

0
Sign in to vote or save

Nozomi Tanaka / 田中志 · こーべ通信

不条理:筋道が通らないこと。道理に合わないこと。また、そのさま。

SNSを眺めていると、不条理という言葉に毎日出会う。

思い通りにならない組織や上司、家族、パートナー、あるいは彼らからの指示。あらゆる人や組織、振る舞いが対象になる。あらゆる物事の接尾に”ハラスメント”がつく時代になのだ。そんなものかもしれない。

ただ、日常不条理と呼ばれるものの大半は、そこまで大層なものではないはずだ。

不条理という概念を哲学の中心に置いたのがカミュだった。彼の言う不条理は、人間が意味を求めることと、世界がそれに答えないことの間に生じる。なぜ生きるのか。なぜ苦しむのか。なぜこの人が死ななければならないのか。人間は問い続ける。当然世界は何も答えない。これが不条理である。

小説『ペスト』では、封鎖された街・オランでリウー医師が患者を診察しつづける。リウーがどんなに努力しようと、ペストの勢いは止まらない。相手を選ぶこともない。善人だから見逃すこともなければ、幼い子どもだから容赦することもない。なぜこの人が、という問いに対する答えはない。人類の非力故に見つからないのではない。そもそも、答えは存在していない。

私たちが日々不条理と呼んでいるものとは、まったく様相が異なる。「筋が通らない出来事」「納得できない不公平」のように、なにか理由・背景が存在しているものの自身がそれを理解・納得できない、なんてものではない。世界には表情も声もない。これが不条理の根源である。

理不尽な上司には顔がある。名前がある。話せば返事もする。異動を申し出ることもできるし、転職すれば関係を終わらせることもできる。偉い人が会議で発した適当な一言で3か月の準備が消えたとしても、人生がそこで終わるわけでもない。

確かに嘆くべきことは日々起きている。理不尽でもある。不合理でもある。ただ、不条理とまで呼ぶ必要があるのだろうか。

ウクライナやイランで起きている戦いのことを考えよう。あるいは、今後で広がるエボラ出血熱のことを考えよう。病気は事情を聞かない。爆撃は努力を考慮しない。「なぜこんな良い人がいなくならなくてはいけないのか」この答えが存在しないこと。それが不条理である。一方で、上司の理不尽には何かしらの理由があり(たいがいそれはくだらないものだけれど)、失敗した会議にはやり直す余地がある(たいがいそれはくだらない作業だけど)。リベンジマッチがあるものは不条理の射程外である。

なぜ私たちは、それでも不条理という言葉を使いたくなるのか。
楽だからだ。弱い人間、自信がない人間は強い言葉をつかいたがるからだ。

不条理だと思えば、自分にはどうしようもないことになる。上司と話す必要もなくなる。会議をやり直そうとする必要もない。会社を辞めるかどうか考える必要もなくなる。どうにもならないのだから仕方がない、と言える。不満を口にする権利を手にするために、不条理判定が必要となる。たとえそれが正当なものではなくとも。

何かを不条理だと言い切ったとき、少し気持ちが軽くなる。世界の側に問題があるのだから、自分はもう考えなくていい。その軽さには、たしかに魅力がある。しかも、日常の不条理は人と共有しやすい。嫌な上司の話なら、分かる分かる、と言ってもらえる。会議のちゃぶ台返しなら笑い話にもなる。SNSにも書きやすい。

本当に重い出来事は、そうはいかない。笑えない。送信ボタンを押すのも躊躇われる。病室で夜を越す人や、突然家族を失った人に向かって、簡単に共感を示すことはできない。言葉が止まる。だれがいいねを押せるだろう。大切だねボタン?冗談はやめてくれ。

だから私たちの目に触れる不条理は、どうしても軽いものが多くなる。会社の人事や、会議や、電車の遅延まで不条理と呼ばれるようになる。そうしているうちに、本当にどうにもならないものに出会ったとき、そのための言葉が少し弱くなってしまう。

だから私は、不条理という言葉をもう少し狭く使いたいと思う。上司がひどいなら、ただひどい上司がいた、あるいは彼・彼女をひどいと感じる自分がいた、ということだけだ。意思決定がおかしいなら、ただその意志決定に納得できない、ということだけだ。会社の方針が理解できない?変えるか離れるかを、あなたは選ぶことができる。

自分が最近不条理だと思ったことを一つ思い出してみよう。そこに相手はいただろうか。話し合う余地はあっただろうか。逃げることはできただろうか。やり直すことはできただろうか。もし、まだ何かできたのなら、それは世界が答えなかったのではない。こちらが、もう答えを聞きたくなかっただけかもしれない。

リウー医師は、街がどんなに悲惨になろうと患者を診続けた。世界が答えないことと、自分が何もしないことは、同じではない。正しく不条理を見つめることができるようになれば、私たちはやっとそれを超える勇気を手にできる。

お便りをお待ちしています。

Read the original on cobe.substack.com

Comments

Nothing yet. Say the first thing.

    Sign in to join the conversation.