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〜シリーズ沖縄戦〜

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< Index > シリーズ沖縄戦

ごあいさつ シリーズ沖縄戦 - 全リスト 第32軍の創設 (1944年) 艦砲射撃(3月23日~3月25日) 慶良間列島の戦闘(3月26日~3月31日) 米軍上陸(4月1日~4月4日) 嘉数高地の戦闘 (4月5日~4月24日) 津堅島の戦闘 (4月10日~4月25日) 伊江島の戦闘(4月16日~4月21日) 小波津の戦闘(4月22日~5月2日) 前田高地の戦闘 (4月25日~5月3日) 宮城・仲西の戦闘 (4月30日~5月6日) 運玉森の戦闘 (5月5日~5月22日) シュガーローフの戦闘 (5月12日~19日) 首里の戦闘 (5月20日~5月31日) 那覇と与那原の戦闘 (5月22日~5月31日) 津嘉山収容陣地の戦闘 (5月31日~6月4日) 南部の戦闘 (6月6日~6月23日) 国吉台地の戦闘 (6月10日~8月22日) 第32軍の終焉 久米島の住民虐殺 アイスバーグ作戦終了…

1945年9月7日 『第32軍の降伏』

午前11時20分 沖縄の終戦 - 琉球列島降伏調印式 / 鹿山隊の投降 / 「なぜもっとはやく」 / なぜ沖縄戦を語るのか / 沖縄戦とは何だったのか 第32軍の降伏文書調印式 9月7日午前11時20分、琉球列島の「降伏調印式」 陸軍か海軍か - ゆらぐ沖縄占領 第32軍の敗残兵 久米島: 鹿山隊(隊長: 鹿山正 海軍兵曹長)の降伏調印式 恩納岳 - 敗残兵の投降 そのとき、住民は・・・ なぜ沖縄戦を語るのか 沖縄戦とは何だったのか 第32軍の降伏文書調印式 9月7日午前11時20分、 琉球 列島の「降伏調印式」 1945年6月23日に第32軍 牛島満 司令官 らが自刃するが、今まで見てきたように、それで 沖縄戦 は終わったのではない。牛島の 最後の指令 は沖縄を終わりなき戦場にさせた。9月7日、最終的な沖縄守備軍の降伏調印式が行われ、これをもって沖縄は正式に 終戦の日 を迎える。…

1945年9月6日 『米軍の捕虜・日本軍の捕虜』

食糧爆弾の投下 / 日本の捕虜収容所 / 「ご苦労さまでした」 / 「いつか命はない」 / 米軍の捕虜収容所と病院 米軍の動向 琉球列島の降伏文書調印式まで 連合軍捕虜の救出 日本国内の捕虜収容所 第32軍の敗残兵 デテコイ作戦 捕虜のための沖縄第88野戦病院 捕虜収容所の演芸会や新聞発行 捕虜収容所と軍作業 その時、住民は・・・ 瑞泉学徒隊 - 南部、米須で捕虜となる 郵便の復活 米軍の動向 琉球 列島の降伏文書調印式まで 9月2日の日本の降伏文書調印をうけ、9月7日に予定された 琉球 列島の降伏文書調印式の準備が進められた。 9月4日 、 宮古島 から納見敏郎中将が到着、翌5日に文書は一旦部隊へ持ち帰られる。 9月6日 、納見敏郎中将、村尾繁二海軍大佐、一瀬壽大佐、杉本一夫中佐の一行が午後3時に 読谷飛行場 に到着し、特別尋問センターへ向かう。一方、 徳之島 から高田利貞陸軍少将と…

1945年9月5日 『祖国という観念』

無貨幣という経済支配 / 日本兵捕虜のための病院 / 高級な捕虜と普通の捕虜 / 66年目の皇国「ヤマト世(ゆ)」の終焉 / 身勝手な大人たち 米軍の動向 沖縄の日本軍降伏調印式に向けて 基地依存経済の造成 - 無貨幣時代 第32軍の敗残兵 捕虜のための沖縄第88野戦病院 沖縄島の捕虜収容所と軍作業 そのとき、住民は・・・ 「かつて経験したことのない世界」 変わり身の早い大人たち 米軍の動向 沖縄の日本軍降伏調印式に向けて 琉球 列島の日本軍降伏受諾に関し、米第10軍司令官は 8月29日 に徳之島と 宮古島 の日本軍司令部に連絡をとりつける。 9月4日 、 宮古島 から納見敏郎中将が到着。 7日 の沖縄第32軍降伏調印式まで、降伏文書の調整が行われる。 写真が語る沖縄 – 沖縄県公文書館 米陸軍: Representatives of the Japanese command in the…

1945年9月4日 『こんな国のために死ぬもんか』

日本兵の「沖縄人」 / 米兵の「沖縄人」 / レイシズムとセクシズム / 郵便事業の再開 第32軍降伏調印式までの動向 日本兵と「沖縄人」 沖縄にきた日本軍 沖縄人は「スパイ」 米軍と「沖縄人」 満足しているというステレオタイプ レイシズムとセクシズムの重層構造 そのとき、住民は・・・ 郵便事業の再開 第32軍降伏調印式までの動向 9月2日 、日本の横須賀沖の戦艦 ミズーリ 艦上で降伏調印式が行われ、正式に日本の太平洋戦争が「 終戦 」した。しかしまだまだ降伏調印は続く。 琉球 列島の日本軍降伏受諾 に関し、米第10軍司令官は 8月29日 に徳之島の高田利貞将軍と 宮古島 の納見敏郎中将から連絡を受けた。 9月4日 、 宮古 飛行場から飛び立った日本軍航空機は読谷飛行場に到着。 7日 に沖縄第32軍降伏調印式が行われることになる。 Japanese Envoya from…

1945年9月3日 『次々と降伏する日本軍部隊』

進駐軍『裸者と死者』 / 住民虐殺「白石隊」の投降 / 朝鮮人将校の「戦後」 / 沖縄戦と国場幸太郎の國場組 米軍の動向 続々と上陸する占領軍 第32軍の敗残兵 海軍第27魚雷艇隊 - 白石隊の降伏 第56飛行場大隊 - 本田大尉の降伏 歩兵第32連隊第1大隊 - 志村大隊の投降 朝鮮人将校の沖縄戦とその後 そのとき、住民は・・ 国場幸太郎の沖縄戦と基地建設 基地建設と国場組 米軍の動向 続々と上陸する占領軍 8月30日 、 マッカーサー 陸軍元帥が沖縄経由で厚木飛行場に降り立つ。 9月2日 に戦艦 ミズーリ 艦上で降伏調印式が行われ、正式に日本の太平洋戦争が 終結 した。部隊が次々と日本に移駐した。 占領任務 で上陸した部隊の一つ陸軍第112騎兵連隊は、南洋戦線から沖縄を経由し、 9月3日 に日本に上陸した。 米陸軍: Troops of 112th Regimental Combat…

1945年9月2日 『日本が降伏した日』

V-J Day 9月2日9時2分 降伏文書調印式 / 伊是名の敗残兵と住民虐殺 / 米国軍政府と沖縄諮詢会 V-J Day(対日戦勝記念日) 9月2日9時2分、戦艦ミズーリでの降伏文書調印式 第32軍の敗残兵 終戦後の伊是名「軍当局」による住民虐殺 そのとき、住民は・・・ 米国軍政府と沖縄諮詢会 V-J Day( 対日戦勝記念日 ) 9月2日9時2分、戦艦 ミズーリ での降伏文書調印式 9月2日、 トルーマン 大統領は今日を正式な アメリ カの 対日戦勝記念日 V-J Day ( Victory over Japan Day ) と宣言。 日本の 降伏調印式 は1945年9月2日、 東京湾 上に浮かぶ米戦艦 ミズーリ 号で行われ、その状況はラジオの実況中継で全世界に流された。 トルーマン 大統領は、ラジオの実況中継後、全国民向けのラジオ放送で演説。その中で 9月2日を正式に VJデー…

1945年9月1日 『朝鮮から「商売」に来ている』

普天間飛行場の完成 / 軍のための性病検査 / 軍支給の「突撃一番」 / 慰安婦として補助看護師として / 兵70人に一人 米軍の動向 普天間飛行場の完成 投降を促すビラ 沖縄の朝鮮人慰安婦 「朝鮮人慰安婦」の定期検診 日本軍の慰安所建設 日本軍支給の慰安券と避妊具 日本軍の慰安婦として、また補助看護婦として 米軍が記録した「慰安婦」の女性たち 座間味守備隊の場合 - 梅澤隊と7人の朝鮮人慰安婦 大陸での日本軍と慰安婦というシステム 米軍の動向 普天間飛行場 の完成 大型 爆撃機 B-29 用の 普天間飛行場 建設は 6月15日 に開始され 9月1日に完成 した。 B-29 スーパーフォートレス 普天間飛行場 南端の 採石場 から TNT 火薬を使って取り出した 石灰岩 をまとめるロレイン・ショベル。滑走路を建設する 第806工兵航空大隊 のトラックは 石灰岩 を降ろし、重 爆撃機…

1945年8月31日 『牛馬以下にあつかわれて』

マッカーサー・ルーム / 旧友との再会 / 朝鮮人軍夫の慟哭 / 「徴発」とは / 沖縄諮詢会 - 郵便業務の開始 米軍 - 降伏文書調印式までの動向 日本本土への進駐 連合軍捕虜の救出 - 奉天捕虜収容所 島に連れてこられた朝鮮人 朝鮮人軍夫の虐待と「処刑」 朝鮮人の「徴発」とは 奪われた名前、奪われた尊厳 朝鮮人軍夫と沖縄戦 そのとき住民は・・・ 沖縄諮詢会 - 郵便業務の開始 米軍 - 降伏文書調印式までの動向 日本本土への進駐 29日 に専用機バターン号で沖縄の読谷飛行場に到着した マッカーサー は、 30日 、厚木飛行場に降り立ち、横浜の 山下公園 に面したホテルが3日間の司令部となる。 8月31日 、厚木飛行場には1000名の連合軍 将兵 が到着し、横浜に進駐する。(308頁) … 前日、関内に進駐した連合軍 将兵 の就寝は早かった。それでも 山下公園 に設営された幕舎には、…

1945年8月30日 『日本全土がアメリカ世 (ゆ) 』

午後2時5分 厚木に降り立つマッカーサー / 連合軍の捕虜 / 日本軍の捕虜 / 望郷の沖縄 サイパンから シベリアから / 米軍 - 降伏文書調印式までの動き 厚木に降り立つマッカーサー 日本の連合軍捕虜の救出が始まる 第32軍の敗残兵 屋嘉捕虜収容所の英会話教室 望郷の沖縄 (2) 南洋群島における沖縄移民 満州開拓団: 満州からシベリアから 米軍 - 降伏文書調印式までの動き 厚木に降り立つ マッカーサー 29日 に読谷飛行場に到着した マッカーサー は、30日、そこから厚木飛行場へと向かった。 … 1945年8月30日 、 連合国軍最高司令官 の ダグラス・マッカーサー 元帥 が厚木飛行場に降り立った。 昭和天皇 が日本の敗戦を告げた 玉音放送 から15日後のことだった。 マッカーサーが厚木に降り立った日から71年。その登場シーンは日本人に鮮烈な印象を与えた(画像) ……