母との月に一度のランチ・ドライブ。
ランチを食べて、カフェに行って、そのあとはウィンドウ・ショッピング。
「今日は買わないよ。見るだけね」
そう言いながら、なぜか「見るだけ」では終わらない。
「あ、これ欲しかったのよね」
「これ、いいよね」
お互いに見つけたものを見せ合って、結局それぞれ何かを買っている。
そして帰りの車の中で、
「今日もおいしかったね」
「パーフェクトだったね」
と、二人とも大満足。
そんな時間を、月に一度楽しんでいる。
母は、もうすぐ88歳。
父が亡くなったのは、3年前のこと。
父が亡くなったあと、
母にはいろいろな感情が出てきて、生きた心地がしないような時期があった。
車で15分ほどのところに住んでいる私は、その間、母をサポートしてきた。
今では、すっかり乗り越えた。
「あっちが痛い」「こっちが痛い」と言いながら、それでも出かける。
おいしいものを食べて、買い物をして、人生を楽しんでいる。
そんな母を見ていると、なんだか嬉しくなる。
でも、私と母の間には、これまで本当にいろんなことがあった。
お互いに傷つけ合ったこともある。
わかってもらえなかったことも、わかってあげられなかったこともある。
母が父を亡くしたあと、私たちはいろいろなことを話した。
今まで言えなかったことも、かなり正直に話した。
すると、
「そうだったの?」
「私はそういう意味で言ったんじゃない」
「こう思っていた」
そんなことが次々と出てきた。
長い間、お互いが抱えていたものの中には、
事実そのものではなく、勘違いや誤解もずいぶんあった。
それが少しずつわかっていった。
過去に起きたことを消すことはできない。
でも、その出来事に対して持っていた意味づけは、書き換えることができる。
これは、私自身にとっても、とても大きなことだった。
私は仕事柄、母にも心理のことを少しずつ話してきた。
何かを教え込むというより、
「こういうこともあるんだよ」
と、必要なときに拾えるように、そっと足元にいておくような感じで。
あるとき母が、
「もっと早く知りたかった」と言った。
そして、
「あんたがいてくれて、本当によかった。助かった」
とも言ってくれた。
その言葉を聞いたとき、
私は、ずっとこの仕事をしてきて本当によかったと思った。
24年以上、人の感情について考え続けてきた。
たくさんの人の話を聞いて、感情の仕組みを学び、
どうしたら人は自分の人生を取り戻していけるのかを考えてきた。
その知識が、仕事の中だけで終わらなかったことが、今になってよくわかる。
母だけではない。
父にも。
息子たちにも。
それぞれの成長の過程で、
私はさりげなく、原因と解決法を足元に置いてきた。
必要なときに、それを拾えばいい。
でも、拾わなくてもいい。
その人の人生だから。
そして今、みんなそれぞれに、自分の人生を楽しんでいる。
それでいいのだと思う。
誰かの人生を変えてあげることではなく、
その人が自分で人生を生きていけるように、
必要なものをそっと渡しておく。
それが、私がずっとやってきたことなのかもしれない。
88歳になる母と、64歳の私。
月に一度、一緒にランチをして、カフェに行って、
買うつもりのなかったものを買って、
「今日もパーフェクトだったね」と笑って帰ってくる。
昔は本当にいろいろあった。
でも今、こうして一緒に楽しめる時間がある。
それだけで、十分に幸せなことなのだと思う。
北海道 長沼町 レストラン「ハーベスト」にて

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