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週刊#バス釣り狂時代の歩き方 · Jul 5, 2026

誤釣錯誤#017 「厄落とし」という名の、論理の放棄

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Toshiaki Mikawa | ENDSVILLE · 週刊#バス釣り狂時代の歩き方

理論には限界がある。

そう思い始めた瞬間から、人は少しずつ非合理へ近づいていく。

ゴミを拾い、神社を探し、験を担ぐ。

どうやら釣り人とは、意外と信心深い生き物らしい。

暑くなる予感は、湖上に出た瞬間に確信に変わった。ピーカン、ベタ凪。水温は日中29℃にもなり、もはや真夏の様相だ。

先週の「逃がした魚」の痛みを引きずりながら、私は「ピン撃ち」に活路を見出す。上流を目指し、冠水した木と流れが絡む一等地に辿り着く。「今日は無駄なキャストは一投もしない」。そう自分に誓い、テキサスリグを流木へ叩き込む。

予想通り、バイトはあった。 しかし、バイトは浅い。何度も流木を舐めるように入れ直し、執念で食わせた。 渾身のアワセ。グングンと伝わる重量感。 「良し!」と引き剥がしたその瞬間、スポッとテンションが消えた。

ワームはくるりと反転し、フックが口の間を絶妙にすり抜けていた。

呆然とした。 こんなバラシ方はあるだろうか。しっかりと重さは乗っていたし引きも感じた。これは一体、どんな確率で起こる現象なのだ? 私の技術に落ち度はあったか? いや、これは技術の問題ではない。もっと上の、目に見えない「何か」だ。

日頃の行いか。憑き物か。 自分の意志ではどうにもならない力が、作用しているとしか思えない。

ゴミを拾ってみる?いつも以上に、丁寧に。 しかし、その下心が見透かされているような気もする。

こうなったら、頼るべきは神仏しかない。 バラシの厄落とし。そんなご利益のある神社仏閣が、この界隈にあるのだろうか。

論理とセオリーを尊ぶはずの自分が、ついに「厄払い」を検討するようになるとは。バス釣りという泥沼は、どこまで私を非合理へと引きずり込むのだろう。

―誤釣錯誤、続く。

ライブソナーは、前方のストラクチャーやベイトをリアルタイムで映し出すという点で、現代バスフィッシングにおける大きなアドバンテージだ。しかし、その“見える”という強みを釣果に変換するには、振動子の向きを正確に扱う操作精度が欠かせない。

ライブソナーが放つソナービームの幅は想像以上に狭く、振動子の角度を数度見誤るだけで、10m先では数メートルのズレになる。このズレはルアーの補足を難しくし、ルアーを映すことに集中しすぎるあまり、釣り本来の集中力を失ってしまうことすらある。

そこで有効なのが、ライブソナー専用のポインターだ。ポインターは振動子の向きに合わせて取り付けるだけで、今どこを向いているかを一瞬で把握できる。エレキ本体に取り付けると前方では本体に隠れて見えにくい場面もあるが、それでも補足効率は各段に向上する。

釣りにおいて集中力は欠かせない。ポインターは、その集中力の使い方を補正し、ライブソナーに振り回されるのではなく、道具を正しく使いこなすための“視覚的基準点”となる。ライブソナー時代の釣りをより実戦的にするための、小さくも大きなアップグレードだ。

EC71MLというロッドは、スペックの羅列では語りきれない“実釣の強さ”を持っている。MLパワーでありながら巻きの負荷に負けないバット、ラインの軌道を整える多点スモールガイド、そしてそれらを破綻なく共存させた設計。その絶妙なバランスが、スモールプラグの釣りを静かに、しかし確実に底上げしてくれる。

スモールプラグは、軽量で繊細なルアーほどロッド側の設計の粗が露骨に出る。ティップが入りすぎればアクションが潰れ、バットが弱ければ巻き抵抗に負けて情報がぼやける。ガイドが大きければラインが暴れ、ルアーの姿勢が乱れる。こうした“わずかな乱れ”が、釣り人の集中力を奪い、結果として釣果に直結する。

EC71MLは、その乱れを徹底的に排除する方向で作られている。多点スモールガイドはラインの揺れ幅を抑え、ロッド全体でラインを真っ直ぐ導く。シャッドやスモールクランクのようなタイトアクションのルアーは、ラインの抵抗が均一であるほど設計通りの動きをする。EC71MLで巻くと、ルアーが水中で“まっすぐ泳いでいる”ことが手元の情報として明確に伝わってくる。

そして、MLとは思えないバットパワーがその情報をさらに強固にする。ティップは素直に入り、軽量プラグの振動を拾う一方で、ベリーからバットにかけては支点がしっかりしている。早巻きのミノーや、やや負荷のあるスモールクランクを使っても、ロッドが負けて情報が曖昧になることがない。軽さと強さが同居しているからこそ、スモールプラグの釣りが“楽になる”。

そして、このロッドの真価が最も露骨に現れるのが、掠めるようなアタリを逃さず捕える場面だ。スモールプラグの釣りでは、明確な「コツン」というアタリよりも、巻き抵抗がわずかに軽くなる、ルアーの振動が一瞬だけ弱まる、ティップが“ほんの少しだけ”入り方を変える、といった、極めて微細な変化がバイトの正体であることが多い。

EC71MLは、ティップの入り方とバットの支点が破綻なく繋がっているため、この“掠める変化”を逃さない。ティップが入りすぎて情報が潰れることもなく、バットが強すぎて変化が吸収されることもない。ロッド全体が一本のセンサーのように働き、わずかな違和感を「違和感のまま」フッキングに持ち込んでくれる。

このロッドを使っていると、集中力の使い方が変わる。ルアーを映すことや、ロッドの挙動を補正することに意識を割かなくていい。ロッドが勝手に整えてくれるから、釣り人は「どこを通すか」「どう巻くか」という本質的な部分に集中できる。道具に使われるのではなく、道具を使って釣りを組み立てられる感覚がある。

スモールプラグの釣りは、情報の精度が釣果を左右する。EC71MLは、その精度をロッド側で底上げしてくれる存在だ。軽いルアーを正確に動かしつつ、巻きの負荷にも負けない。そして、掠めるようなアタリを逃さず拾う。これらの両立は簡単ではないが、EC71MLはそれを破綻なく成立させている。だからこそ、このロッドはスモールプラグの釣りにおいて“正解を出しやすい”一本になっている。

-釣れない時間が、なぜアングラーにとってかけがえのない財産になるのか。あえて語らない“空白の時間”に光を当てる沈黙の釣果-

湖上には、時折「投げるべきか、投げないべきか」という沈黙が訪れる。風が止まり、ボートがわずかに揺れ、目の前の水面が静かに呼吸している。

その瞬間、釣り人はキャストの判断を迫られる。だが、この判断は単なる操作ではない。そこには釣り人の哲学が宿る。

沈黙の時間は、何も起きていない時間ではない。むしろ、もっとも多くの情報が流れ込んでくる時間だ。“沈黙の揺らぎ”を拾えるかどうかで、キャストの意味はまったく変わってくる。

投げるか、投げないか。その選択は、釣り人が何を信じているかの表れでもある。

キャストとは、未来に対する意思表示だ。「この一投に意味がある」と信じるからこそ、ルアーは飛んでいく。しかし、沈黙の中でのキャストは、ただの“投げ癖”では成立しない。

沈黙が語る微細な変化を読み取り、その変化が“今ここ”に意味を持つと判断したときだけ、釣り人は静かにロッドを振る。

投げるという行為は、沈黙の中で見つけた“わずかな兆し”に対する応答なのだ。

一方で、投げないという選択は、消極的な行為ではない。むしろ、「今はまだその時ではない」という強い判断でもある。

沈黙の中で待つことは、釣り人にとって最も難しい行為だ。だが、待つことでしか見えない流れがある。投げないという選択は、水の声をもう少し深く聞こうとする姿勢でもある。

沈黙の時間を経て選んだ一投は、偶然ではなく、必然に近づく。沈黙は、釣り人を試している。焦りを捨て、雑さを捨て、ただ水と向き合えるかどうかを。そして、沈黙の中で選んだ一投が、静かに、しかし確かに、釣果へとつながる。

沈黙は空白ではない。沈黙は選択の場であり、釣り人の哲学がもっとも濃く現れる瞬間だ。投げるか、投げないか。その判断の中に、釣り人のすべてが宿っている。

「神頼みも、ひとつの攻略法。」

魚が掛かる前に、心が自然に掛かっている。

― 釣りは心が先に動く遊び。

Read the original on endsville.substack.com

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