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かつおぶしじゃない。 まず言葉をえらぶ。 太くてよく乾いた言葉をえらぶ。 はじめに言葉の表面の カビをたわしでさっぱりと落とす。 血合いの黒い部分から、 言葉を正しく削ってゆく。 言葉が透きとおってくるまで削る。 つぎに意味をえらぶ。 厚みのある意味をえらぶ。 鍋に水を入れて強火にかけて、 意味をゆっくりと沈める。 意味を浮きあがらせないようにして 沸騰寸前サッと掬いとる。 それから削った言葉を入れる。 言葉が鍋のなかで踊りだし、 言葉のアクがぶくぶく浮いてきたら 掬ってすくって捨てる。 鍋が言葉もろともワッと沸きあがってきたら 火を止めて、あとは 黙って言葉を漉しとるのだ。 言葉の澄んだ奥行きだけがのこるだろう。 それが言葉の一番ダシだ。 言葉の本当の味だ。 だが、まちがえてはいけない。 他人の言葉はダシにはつかえない。 いつでも自分の言葉をつかわねばならない。
作者紹介:長田弘(1939–2015)は福島市生まれの詩人・随筆家。1965年の第一詩集『われら新鮮な旅人』で本格的に出発し、約半世紀にわたって言葉と日常の関係を考え続けた。初期は、都市、政治、戦争、メディアなどを扱う、硬質で批評的な詩で知られ、1980年代からより身近なテーマを扱うようになった。2013年没。
詩の紹介:詩集『食卓一期一会』(1987年)に収録。
わたしたちの言葉の選択は、どこまでも曖昧で、適当である。適当に選んだ言葉は、多くの場合、不適当である。
枯れた技術を使おう、という人がいる。枯れた技術のみを採用すべきだ、という原理主義者までいる。言葉も同じ。まずは歴史に磨かれてきた、手に馴染む強度のある言葉を選ぶことから始めるべきだ。時間経過の中でスキマに貯まった埃をはらい、汚れを雪ぎ、原義を見つめ、誤解や不正義に繋がる苦い部分を削って言葉の魂をつくる。
どんな意味を際立たせるか。時間がかかる。それだけ見つめていればまっすぐだった意味が、社会に溶かすと徐々にアクが浮き出てくる。それを払い、払い、払うと、最後に残るのが本当に語り合うべきものである。
薄っぺらく手垢のついた言葉を生成AIに投げ入れて、市場だ戦略だ自分もよくわかっていない反応を紙にしたため、それっぽく皿だ椀だに盛り付けていっちょ上がりとお膳に並べるビジネスパーソンばかりである。端的に言って、ゴミである。ぶっかけられる味の素でもあればいいんだけど、食感も喉ごしも食べられたものじゃない。口触りだけで勝負してんじゃねえぞ。
まともな仕事をしよう。いい出汁でつくった料理がまずくなることはまぁないのだ。
参考:長田弘全詩集

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