歌い続ける
高低差のある街に着いたのは、窓ガラスが曇りきった夕方だった。視界が悪くなったせいで、仲間たちと一度コンビニの前に集まり、行き先も決まらないまま立ったままの打ち合わせをした。谷沿いに築かれたその街は、低い位置から高い位置までテントの店ばかりが続いていて、いつでもバザーが行われていた。観光客を盛り上げるための仕掛けも絶えず、角の生えた被り物をかぶった人々が坂道を行き来している。夜になれば光を持たない奇妙な行列が街を巡り、それでも誰も退屈していなかった。
緑色と黄色が混ざったジュースを飲んだ。見た目は少し不安になるのに、不思議と癖になる味だった。その液体を喉に流し込んでいるうちに、自分の輪郭が少しずつ緩んでいく気がした。それらは全て魔境のように俺たちを虜にする。谷から落ちてしまいそうな危うさがあるのに、そこにいるのが居心地よかった。
宿へ入ると、玄関で靴を脱いでいる短い時間のうちに、この建物で守るべき決まりごとを一気に説明された。理解できた気がしないまま部屋へ通される。椅子は人間の身体を前提として作られていないようで、腰を下ろすたびに別の生き物へ矯正される感覚があった。廊下では、家の前にあった木を埋め戻してほしいという貼り紙が風に揺れている。誰が掘り返したのかは分からない。
食堂では、尻の辺りから色鮮やかな装飾を生やした客が黙々と食事をしていた。女将は必要以上に飯を盛り、その親切さがむしろ何かの禁忌のように思えた。向かいに座った男は突然大げさな表情を繰り返し始めたが、その理由は最後まで分からない。近くの席では子供の合唱が続いていて、皆その終わりを待たされていたらしい。しかし途中で誰かが止めなければ永遠に続いたのではないかと思うほど、歌は終わる場所を失っていた。
夜が更けるにつれ、自分の内側にしまっていたものが次々と外へ流れ出していく感覚があった。隠していた恥や後悔や説明できない願望が、曇った窓に結露が広がるみたいに表面へ現れる。誰かは自分を天候として語り始めていた。人間でいることに疲れたのか、それともこの街ではその方が自然だったのかもしれない。
最上階には信用できる占い師がいるらしい。だがそこへ向かう坂道の途中で、ふと立ち止まった。医者の言葉を信じ過ぎて遠回りした人生だったのではないかと思ったからだ。もっと別の見方で世界を眺められたのではないか。もっと地球そのものを軽薄な冗談として笑い飛ばせたのではないか。そう考えた途端、過去の傷跡が脈打ち、乱暴な治療の記憶だけが妙に鮮明によみがえった。
結局、占い師のもとへは行かなかった。
谷を見下ろせる広場に戻り、今日はここで夜通しキャンプファイヤーをすることにした。炎は揺れ、テントの群れは斜面に貼り付いたまま沈黙していた。光を持たない行列はまだ遠くを歩いている。街全体が巨大な夢の断面のようだった。
谷から落ちてしまいそうな不安は消えなかったが、その不安ごと抱きしめられているような温かさがあった。だから火を見つめながら朝を待った。この街が現実なのかどうか確かめるためではなく、現実でなくても構わないと思い始めていたからだった。